競技カルタがブームですね。
百人一首も、小学校で昔から教えられてきました。
いったいカルタはいつからあったのでしょう⁉

日本カルタの歴史を語ろうとすると、
なんと1543年、天文12年にまでさかのぼります!
この時代の天皇は、後奈良天皇。室町幕府将軍は、足利義晴、足利義輝です。

ポルトガルからの鉄砲伝来以降、ポルトガルのカルタを見て日本人がカルタを作り始めましたそうです。
ずいぶんと古くからあったのだと驚きますね!

今は、百人一首やことわざカルタ、郷土カルタなど、学習的要素の強いカルタですが、
それは昭和に入ってからの話のようです。
以下の年表を見ていただくとわかるように、実は 賭博! のひとつだったようです。

何度も カルタ禁令 が出ていて、カルタをやっているのが見つかって城から追放されたり、
キリシタンと間違えられたり、今のカルタからは想像もできない 闇歴史 があるので面白いです!

言われてみれば、花札 も実はカルタのひとつなので、賭け事に用いられていたことは想像できますね。


日本のカルタの歴史

◆天文12年(1543年) 
ポルトガル人種子島に漂着、鉄砲を伝える

◆天正年間(1573~1591年)
ポルトガルのカルタを見て、三池住貞次たちが日本で初めてカルタを作り始める


◆慶長2年(1597年)
長曽我部元親家中の士分に禁令を発す。(カルタに関する最古の文献)

◆元和2年(1616年)
中院通村 経師藤蔵に命じてカルタを摺らせる。(最古のカルタ遊戯例)この頃、道勝法親王筆による最古の百人一首歌カルタ


◆元和4年(1618年)
佐竹藩江戸詰侍8名 江戸城中でカルタ遊びを重役に見つかり追放

◆寛永17年(1640年)
オランダ商館館長カロン 閣老の牧野内匠頭信成からカルタ調達の依頼を受ける


◆寛永年間(1624年~1643年)
最古の絵合わせカルタ『能狂言絵カルタ』この頃から絵合わせカルタが作られるようになる


◆慶安元年(1648年)
かるた禁令


◆貞享年間(1684年~1687年)
ウンスンカルタ(1組75枚)案出


◆享保年間(1716年~1735年)
江戸八丁堀の茂右衛門が借家人の六兵衛の仏壇からカルタ1枚を発見し、
六兵衛をキリシタンと早合点して大騒ぎとなる。


◆享保7年(1722年)
カルタ、賭博用品の禁


◆天明7年・寛政5年(1787年~1793年)
寛政の改革に伴い博奕禁止令が出され、カルタにも厳しい抑圧がかけられた


◆文化年間(1804年~1817年)
この頃に『いろはたとえカルタ』が案出され、文政年間頃までに木版いろはカルタが登場する


◆文政4年(1821年)
宇田川榕庵、オランダカルタ(トランプ)を模写

◆明治前期 
歌カルタ(源氏物語、古今集、漢詩等)が滅亡


◆明治7年~8年(1875年)
『西洋カルタ』ブーム起こる


◆明治18年(1885年)
花札、メクリ札解禁


◆明治20年代(1887年~1896年)
子ども用カルタ登場


◆明治35年(1902年)
骨牌税が導入され、カルタ業界混乱。地方札が衰退する
京都で国産トランプの生産を始める


◆明治30年代(1898年~1906年)
黒岩涙香、百人一首カルタによる競技カルタを考案する

◆大正年間 
第一次世界大戦中トランプの輸出が盛んになる


◆昭和初期 
いろはカルタの品質向上に着手


◆昭和16年~20年(1941年~1945年)
太平洋戦争中、愛国百人一首、愛国カルタが登場


◆昭和20年代(1945年~1954年)
教材用として、幼稚園向けのいろはカルタが作られるようになる。


◆昭和30年代(1955年~1964年)
花札製造の機械化が始まる。メクリ札、地方札滅亡


資料提供/奥野カルタ店(http://www.okunokaruta.com/
三池カルタ・歴史資料館(
http://karuta-rekishi.com/


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