里見公園で見つけた案内板には、国府台は「軍隊の街」と書いてありました。
なんとなくは知っていたものの、その足跡をたどってみました。
まずは、里見公園の案内板です。


[軍隊の街]

明治期以降、国府台地域は軍隊の街として知られていました。
明治18年、陸軍の下士官の養成機関である陸軍教導団が東京より移転してきて、武術など様々な訓練が行われていました。
教導団の生徒は一時1600名にのぼり、国府台は教導団の名とともに日本全国に知れ渡っていました。

陸軍教導団が明治32年に廃止された後、国府台には野砲兵連隊が設置されるようになり、野戦重砲兵連隊・騎砲兵連隊なども加わり様々に編成を変えながら第二次大戦が終わるまで、軍隊が駐屯していました。
現在、その跡地にはスポーツセンター、大学・高等学校・中学校等が設置されています。
また真間山弘法寺には「国府台砲兵之碑」が建っています。


真間山弘法寺の「国府台砲兵之碑」を探しました!



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裏の碑文です。

「国府台は明治以来皇軍練武の地にして就中軍の骨幹たる砲兵相継ぎ営を列ね戦力を競い数数戦場を往来して国府台砲兵の歴史と伝統を輝したる地なり然るに大東亜戦の終結と共に当時最新鋭を誇りたる機械化装備の砲兵も台上より其雄姿を消滅するに至り年と共に営址旧蹟悉く変貌忘却せられ今や追憶の縁さえ失われんとするに至る我等生存有志相図りて茲に地を相し碑に刻し以て先士戦友の功業を讃え英霊を慰め国府台砲兵の名誉を永遠に伝えんとするものなり

昭和四十六年四月
野戦重砲兵第一聠隊
野戦重砲兵第七聠隊
野戦砲兵第十七聠隊
野戦重砲兵第十八聠隊 出身生存者一同
  元野戦重砲兵聠隊長 本田森造撰書」


昭和46年といえば、まだそんなに昔のことではありません。
碑文を打っていたら、この碑を建てた方たちの想いが伝わってきて、せつなくなりました。
「戦争を繰り返してはいけない!」
今も、この碑文が私達に語りかけています。

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